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サッカーU-21

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日本と中国のサッカー21歳以下代表の
国際親善試合で、

日本 2―0 中国

日本は反町監督(反町康治監督)のもと勝利した。

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韓国に勝った!中田世代に並んだ!日本初Vへ王手…アジアユース選手権

韓国に勝った!中田世代に並んだ!日本初Vへ王手…アジアユース選手権

 ◆U-19アジアユース選手権準決勝 U-19日本2-2(PK3-2)U-19韓国(9日、インド・コルカタ) 準決勝でU-19(19歳以下)日本代表は宿敵・韓国を相手に2-2のままPK戦に突入し、3-2で勝利を収め、2大会ぶりの決勝進出。
来年6月にカナダで開幕するU-20W杯(旧世界ユース選手権)出場を決めている日本は、GK林彰洋(19)=流経大=がPK戦で2本のシュートを止める活躍を見せ、同選手権94年大会以来12年ぶりに韓国を破った。
12日に初優勝を目指し、1次リーグで対戦し2-0で勝った北朝鮮と再戦する。

 若き日本代表が、高い壁を乗り越えた。
PK戦に突入し、韓国の6人目DFチェ・チョルスンのシュートを読み切ったGK林が瞬時に左へ跳び、はじいた。
勝った。荒れた芝のピッチに転がるボールを見て、一瞬にして青い歓喜の輪ができあがった。「イメージ通りでした。本当によかった」泥だらけのイレブンに抱きつかれながら、守護神が高く高く両手を突き上げた。

 宿敵・韓国との120分を超える激闘。準々決勝までの4試合すべてで前半に先制点を奪ってきた日本が、試合開始33秒でFWシム・ヨンスンに先制点を献上した。
後半2分、FW森島が同点とした後も波状攻撃に苦しんだ。同40分にはDF槙野がファウルで一発退場し、防戦一方の苦戦を強いられた。

 しかし、イレブンは動じなかった。ロスタイム。
DF内田が相手シュートをゴール寸前で胸でブロック。日本の14本の倍以上の29本のシュートの雨を浴び続けても、延長後半6分に追いつかれても慌てなかった。
「絶対に勝てると思った」(FW森島)。PKに持ち込めれば勝てる自信があった。

 PK戦に絶対の自信を持つGK林が日本にはいたからだ。
今年1月のカタール国際大会決勝でも、同じ韓国をPK戦で下し頂点に立った。
延長戦終了直後、GK武田から一枚の紙を受け取った。
サウジアラビア戦前日、宿舎で自分が一般的なキッカーのPK戦での癖や特徴を分析し、したためたメモだった。
「興奮して忘れないようにしたかった」ドイツ代表GKレーマンをまねた「メモ作戦」。PK戦で手足をくねらせる奇妙な動きはリバプールのドゥデク(元ポーランド代表)を意識した。
海外を目指す守護神は、激闘の中でも冷静だった。そしてPKを2本止めた。

 宿敵を破り、たどり着いた決勝の舞台。日本が韓国を同選手権で下したのは、元日本代表MF中田英寿氏らの世代以来12年ぶり。
99年の世界ユース選手権で準優勝したMF小野伸二ら“黄金世代”もアジアの決勝で韓国に敗れた。あと1つ。「日本で今回選ばれなかったメンバーのためにも絶対に勝ちたい」(主将DF福元)。
1959年の同選手権設立から47年間、中田でも小野でも高原でも、日本がたどり着けなかったアジアの頂点は、もう目の前だ。

 ◆林好セーブ連発 ファインセーブで日本を決勝に導いたGK林は、今回のメンバーの中で唯一の大学生。所属する流経大の中野雄二監督(43)は「ものおじしないタイプ。気後れもしてない」と話す。
流経大柏高卒業時にはJクラブから誘いもあったが、大学進学を選んだ。
進学の際に希望したことは「NOVAに通うこと」。将来は海外のクラブでプレーすることを目標にしていることから、スペイン語やポルトガル語の習得が必要と考えたからだ。

 まだ実現してはいないが、大学に通いながら“駅前留学”で語学力をつける。また、多くの試合に出られることも大学を選んだ理由だった。
「高卒でJクラブに入っても2、3番手になってしまう。それよりも大学で場数を踏むことを選んだのでは」と中野監督。
毎年、J各クラブに選手を送り出す名将が「大物になる器」と評する林が、日本史上初の栄冠に挑む。 2006年11月10日(金) 8時4分 スポーツ報知

カターニャのFW森本貴幸メンバー入り白紙

森本メンバー入り白紙 ライバルと横一線

 【コルカタ(インド)12日】7大会連続のU-20W杯(旧世界ユース選手権)出場権を獲得したU-19(19歳以下)日本代表の吉田靖監督(46)が、イタリア・セリエA、カターニャのFW森本貴幸(18)に“サバイバル指令”を出した。
昨年の同代表立ち上げ以来、中心選手として期待されながらも今年7月にJ2・東京Vから海外移籍したワンダーボーイに、世界大会に出たければ今後の猛アピールが必要と奮起を促した。

 来年6月30日に開幕するU-20W杯(カナダ)を見据え、吉田監督は森本にゲキを飛ばした。「ここは競争の場。
来年、森本も(カターニャで)力を見せてくれれば(メンバー入りを)考えたい」と、あくまで他の選手との横一線からのスタートを強調した。

 吉田監督は今後、合宿などに呼びたい意向だが「A代表とは違って、ユースの場合は招集が難しい」と首をひねる。
従って、ユース暮らしの続く現在の森本には「それでも代表に呼びたい」と思わせるほどのアピールが必要。
日本協会の小野剛技術委員長も「チームをサポートするのが我々の役目」と、指揮官からの要請があればイタリアへも出向く構えだ。

 15歳でJリーグデビュー。史上最年少出場を果たした“日本のワンダーボーイ”森本は、前回04年のアジアユース選手権で飛び級招集され、2ゴールをマーク。
さらに05年の世界ユース選手権にも出場した。
しかし今年7月、夢だった海外からのオファーを受け移籍。昨年末に故障したこともあり、今年に入って同代表からの招集に応じたのは5月のインド遠征だけとなっていた。

 しかしMF梅崎らJリーグで活躍する選手の台頭と、今大会での飛躍もあり、吉田監督の構想内で確約されていたメンバーの座は白紙に。
それでも潜在能力では群を抜く存在であることには違いない。
同世代で最も世界を知る男がレースに加われば、“新・黄金世代”はもっと強くなる。

 ◆森本とユース代表 Jリーグデビューを果たした04年当時、FW平山相太が中心となったU-19日本代表の大熊清監督(現日本代表コーチ)から“飛び級招集”を受け、同年のアジアユース選手権、05年6月の世界ユース選手権に出場した。
当時コーチを務めていた吉田靖監督就任後は、05年9月のSBSカップで初招集。
その後は当時J1の東京Vが残留争いの渦中にあったこと、森本がシーズン終盤に右足小指を骨折したことなどから、代表離脱などが相次いだ。
今年、帯同したのは5月のインド遠征だけだった。 2006年11月13日(月) 8時4分 スポーツ報知

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